東洋タイムス

お礼のことば ― 齋藤幸二 定年退職 ―

2019/07/22

弊社の本社役員である齋藤幸二が2018年9月をもって定年退職を迎えました。1982年4月に入社し、約37年もの長きにわたり勤めていただきました。齋藤本人が37年を振り返ります。

 

37年間を思い起こすと、まず先に、入社するきっかけを思い出しました。新聞での求人募集掲載を読んで連絡したことでした。当時は江東区大島に本社があり、3階社長室での面接でした。その当時は前社長(現会長・村上洪平)が面接担当でした。面接のために会社訪問した際、遠目から社屋を確認し、外で仕事をしていた人(業務部)を見て、あまりにも汚い服装で仕事をしていたのを見て、やめようと駅まで引き返しましたが、再度連絡を入れて面接を受けました。その時に面接をしていただいた時の言葉に感銘と憧れを抱きました。「会社は社員の為、社員家族を守り、その為には会社を発展させ大きくしたい」と淡々と話されました。同時に東洋化学商会は当時、野球も盛んで都大会では決勝まで勝ち進み、結果都大会2位、野球連盟では江東区Aクラスでした。私自身、当時は野球をしていたこともあり、入社したような気もします。

 

営業するにはまず品物を覚える。その為に約2週間、業務部の仕事をし、勉強しました。入社当時は嫌だなぁ~と思っていた業務の仕事だったのですぐ辞めてしまうかなと日々思いながら、その後、営業として先輩と同行し、約1週間見習い営業として地図を見ながら教わり、学ばせていただきました。そして江東区を主体に江戸川区・千代田区・新宿区・中野区の担当を任され、地域を拡げながら少しずつ得意先も増やし、10年目には部下を5人持つ営業部長にまでなることができました。その後も順調に業績を伸ばし、取締役営業部長を経て、最終的には専務取締役にまで就任することができました。

 

しかしながら、リーマンショック後の10年間は業績も伸び悩み、厳しいノルマのせいか、地区営業担当者が退職し、担当者が転々と変わってばかりいました。その為、一時的に取締役自らが担当地区を任されましたが、立場上、利益追求にこだわった営業スタイルはお客様をも遠ざける結果となり、その時ばかりは、初めて先の見えない状況に立たされました。やってもやっても売上ノルマには程遠い数字ばかりで、その時ばかりは自分自身にも会社にも本当に嫌気が差し、投げやりになっていました。

 

そんな気持ちの時に声をかけてくれたのが、現社長の村上でした。その言葉が今でも忘れられませんし、私自身を救ってくれた言葉となりました。「売上を上げろと言うなら、利益が無くとも売ればいいじゃないですか。そのあとに続く何かがあるなら、取りあえず頑張りましょう」というような言葉でした。売上とは利益がなければ駄目なのだと、頑なに思い込み、会社を辞めようと思っていた気持ちを改めさせられた大切な言葉でした。

 

今こうして定年を迎えられるのも、あの時私に奮起を促してくれた社長村上の言葉があるからです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして私の気持ちが落ち込んでいる時、察して絡んでくれ、立ち直らせてくれた素晴らしい仲間たち。そして私と真剣に向き合ってくださったお客様、皆さまのお陰でこの日を迎えることができました。本当に長い間ありがとうございました。

 

最後になりますが、お得意様・仕入先様・関係各位には並々ならぬご指導とご鞭撻を賜り、誠にありがとうございました。本来であれば、皆さま一人一人に参上して御礼を申し上げるべきところではございますが、この場を借りて書面にて失礼させて頂きます。

 

今後とも、東洋グループを何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

(2018年秋発行 社外報『和』第7号より)